ソロモンの偽証 前篇・事件

【評価】★★★★☆
後篇が見たくなることは間違いない。

【紹介】
宮部みゆき原作の大作ミステリーを「八日目の蟬」の成島出が映画化。中学校で起きた一人の生徒の転落死。警察が自殺を断定するなか、殺人を告発する手紙が届く。そこから始まる疑惑の連鎖。そしてついに、大人たちを信用できなくなった生徒たちは学校内裁判を立ち上げる。

【批評】
前篇だけではなんとも評価し難いが、とにかく後篇を早く見たくなるという面白さはある。

映画冒頭から中盤にかけては本格的なミステリーという感じで、とても面白い。舞台が1990年ということもあり、全体的に薄暗い演出にしているのだが、それがいい味を出していて、この物語全体に拡がる不穏な空気を見事に描いている。

特に、前篇のメインとも言える三宅家は意図的に一段と薄暗く描写されており、ホラーテイスト交えた雰囲気がラストに観客を引き込むことは間違いない。その中でも三宅樹理を演じる石井杏奈の演技が際立って良く、怒りと動揺のあまり心が狂っていく様は素晴らしくも恐怖を感じた。

演技という点では、担任教師役の黒木華も光っていた。純粋な教師ながらも、どことなく黒い部分を持っているのだ。「私は嘘なんてついていません」と言って泣きながらも、「やっぱり嘘ついてるんじゃないか」と観客は疑ってしまう、絶妙の演技だと思う。
さらに、柏木くんの亡霊に苦しめられていく様子も味わい深い。

主人公の藤野涼子(演者同名)もまた、安定した好演であることは誰もが認めるところであろう。

そうして、登場人物の誰もが怪しく見えていき、観客は物語に引き込まれてしまう。

ただし、この小説を映画化するには最大の関門がある。それは、学校内裁判に話を移行させることだ。

主人公の涼子が学校内裁判を企画して進めていこうとする過程は、あまりにも非現実的だし、それを良しとする大人たちもどうかしてるのは明らかなわけで、ここはどうしても観客は「そんなあほな」という感想を抱かずにはいられない。
そこを役者たちの演技や、監督の演出でやや強引に軌道に乗せた結果、ギリギリ元の重苦しさを残したまま、後篇に繋ぐことに成功している。

ただ、ガリ勉キャラの井上君はさすがに今更そのキャラクターは冷めるのでやめてほしい。
あと、市川実和子のキャラもやり過ぎじゃあなかろうか。
このあたり、監督が敢えてコメディ色に仕上げた意図はよくわからない。

ともあれ、後篇が待ちきれない。

アメリカンスナイパー

【評価】★★★☆☆
世界的に大絶賛なのもわかる、が、物足りない。

【紹介】
イラク戦争で「伝説」と呼ばれた実在の狙撃主クリス・カイルの手記をもとに、彼の人生を描いた作品。監督はクリント・イーストウッド

【批評】
さすがクリント・イーストウッドというほかない。

一人の男が成長し、戦争に参加し、苦悩し、そして追い詰められていく様子が丁寧に描かれている。
さらに、戦場のシーンでは、「今も誰かに狙われているんじゃないか」という不安感を観客も同時に感じることができるほどのリアリティがある。この映画を見た人は、どこかで鳴っている正体の分からない銃声を不快に感じたことだろう。

この映画はイラク戦争をあからさまには批判していないものの、全体として批判的な作りになっていると思う。
息子を戦争でなくした母が、葬式中に涙する後ろで鳴らされる空砲の音。おそらく母親が今最も聞きたくないであろう音を、名誉のための儀式として聞かせる様に違和感を感じた人も少なくないはず。
主人公は、退役して、PTSDをかかえた元兵士たちの心のケアに従事するのだが、そこで「射撃」を使うというあたり、結局「戦争」という泥沼から抜け出せないアメリカを皮肉った描写のようだった。

このように、細部の表現に尽力された、クリント・イーストウッド渾身の一作といえよう。

と、まあ、概ね称賛すべき映画なのだが、個人的に納得できないのが以下の3点。

まず、兵士、さらには狙撃主としての精神的葛藤について、描ききれてるとは言えないこと。むしろ、それこそが本映画のメイントピックだと思うのだが、弱いのでは。
映画冒頭で将来妻になるであろう人とイチャイチャしてるときに、「この後結婚して、子供ができて、でも戦争のせいですれ違い、夫の精神的崩壊に妻が悩まされるんだろうなぁ」と、みんな予想したと思うんだけど、実際その予想通りになって、そして予想を超えない。想定していた範囲内の描写にとどまっていて、個人的に残念。
スナイパーとしての戦場での葛藤も物足りない。予告編で「子供を撃つか撃たないか」ってやってて、かなりハラハラする展開で気になってたんだけど、実際はそこがピーク。「もっと究極の選択を迫られるシーンがあったのでは」と思ってしまった。

つぎに納得いかないのは、ラストに実際の映像を使うという編集。
これは個人的な意見なのだが、いくらノンフィクション映画といえども、ドキュメンタリーでない限り、作り物は作り物。なのに最後に実際の映像を入れられてしまうと、「それまでがただのフィクションだった感」が強くなる。モデルの人物に敬意を示すといっても、せめてワンカットじゃなかろうか。それが、結構な長時間、当時のニュース映像みたいなものを見せられて、私はアンビリーバボーでも見てるのかという気分になってしまって、正直さめた。(制作途中で急遽ラストを変更することになった結果としても)

最後に、無音のエンドロール。
これ本当に効果的かね? 人によっては、「クリント・イーストウッドからの黙祷」だったり、「戦争の虚しさを表現」ってとらえてるみたいだけど、実際はそんな効果なかったって。現実的には、エンドロール中は早々と離席する人たちの足音やらジュースの音やらで雑音だらけなわけで、無音にするとかえって雑音が目立ち、余韻どころじゃなかった。

とまあ、全体的にいい映画なんだけど、ラストが個人的に納得できなくて、満足度は低い。
でも、有名な映画評論家たちからは大絶賛を受けているわけで、見る価値のある映画に違いはない。

イントゥザウッズ

【評価】★☆☆☆☆
ディズニー史に残る駄作。救いは冒頭15分。

【紹介】
おとぎ話の主人公が森の中で交錯、さらにその後のストーリーを描いたミュージカルを、「シカゴ」のロブ・マーシャルが映画化。

【批評】
見ていて退屈な映画だった。

この映画は大きく前半と後半に分かれている。前半は赤ずきん、ジャックと豆の木、シンデレラ、ラプンツェルが、それぞれの定番ストーリーを進めながらも、主人公のパン屋を通して森の中で交錯する話。後半は、各々のストーリーを終えた後で、新たに出てきた巨人という脅威との戦いを描いた話。

前半については、冒頭の15分はなかなか良かったと思う。音楽も印象に残るし、それぞれのストーリーの登場人物がいっせいに森の中に進んでいくシーンは、「この先何が起こるんだろう?」という、ワクワク感はあった。
が、そこがピーク。
第一に、我々は当然童話を知っているわけで、それを改めて見せられるからには新しい演出やら解釈やらがいると思うんだけど、(歌以外に)それがない。むしろ、4つの話を詰め込んだばっかりに、1つずつが絶望的にうすっぺらい。ラプンツェルに関しては、王子の目が見えなくなっていることが発覚してから快復するまで15秒くらいだったと思うんだけど、もはやいるかねそのくだり。
さらには、王子様が足りなくなったばっかりに、兄弟にするというとりあえず設定。
決定的に問題だと思ったのは、かかとを削るだの目を潰すだの、グリム童話の不条理なグロさを引き継いでいて、いやそれディズニーを見に来た人が求めてるはずないだろと。細かいけど、シンデレラがガラスの靴じゃなくて金色の靴って、ディズニーファンには納得できないと思うよ。
あと、ジョニー・デップを客寄せパンダみたいに使うのはどうかと思う。今回は本当にちょい役で、彼を期待した人はがっかりだったことだろう。それ以上に、ジョニー・デップ狼が岩の上でコントさながらに「ワオーン」と鳴く寒いシーンを見た瞬間、「あ、この映画は駄目だな」と確信した人も少なくないはず。

後半はさらに絶望的。とにかくストーリーの破綻がエグい。特別な理由なく人がすぐ死ぬ。魔女は勝手に絶望的になって、「そうです。どうせ私が悪いんです」みたいな感じでいなくなる。王子が意味なく浮気する。巨人が弱い。
納得できないことが多すぎて、もはや何の映画を見ているのかわからなくなった。


そもそもこの映画は構造的な欠点があると思う。
それは、舞台が常に森の中ということ。ミュージカルの場合、その性質上、場面はそんなにころころと変わらないと思うし、客側にもその理解がある。しかし、映画の場合は、背景が常に森なために絵が変わらないのはかなり退屈。それを払拭するほどの脚本があるわけでもなく、映画化には向いてなかったというほかない。

そんななかでもよかったのは、魔女役のメリル・ストリープと、出演者の歌がうまいこと。

でもやっぱり映画としてはいかん。