奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール

【評価】★★☆☆☆

水原希子のセクシーシーンのためだけの映画。だが、それでいい。

 

【批評】

そもそも水原希子が嫌いな人は絶対に受け入れられない映画なので、その時点で一定数の観客を排除しているなあとは思う。

後は、観客それぞれの恋愛観や経験と照らして、受け入れられるか否かが分かれるだろう。

 

というのも、本作は「天海あかり(水原希子)が良い女と思えるかどうか」で好き嫌いが完全に分かれる。

例えば、「いろんな男とすぐにセックスする女なんてチャラくて何がいいのか」と思う層には、天海あかりはただのメンヘラビッチにしか映らず、全然いい女に見えないだろう。そうなった瞬間、本作は成立しない。

私なんかは、鑑賞前は「狂わせるガールは思わせぶりな態度をとりつつセックスはさせてくれない女」と思っていたのだが、実際は作中では定期的にセックスできているから、コーロキもあかりが彼女であることに拘らなくても楽しくて良いんじゃないかと思ってしまい、コーロキの独占欲に共感できなかった。

 

しかし、コーロキが一晩中連続してLINEを送るという、DVっぽい怖いシーンでは、「あー、気持ちは分かる」となったので、LINEと電話が止められないコーロキを見て恥ずかしくなった。自分の人間の小ささを改めて客観視させられて、いい意味で辛いシーンであった。

 

このように、本作は、「観客の過去の恋愛経験と照らし合わせて共感できるか否か」の分かれ道がたくさん用意されているので、正解ルートを辿れなかった人には苦しいかもしれない。

 

 

 

さて、映画全体から漂うギョーカイ的なオシャレな雰囲気は、『モテキ』から続く大根仁監督の得意な演出であり、納得の出来だった。あんなに華やかな生活があるなら、仕事もさぞ楽しいのであろうと、一般人として羨ましくなった。

 

言葉遣いで気になったのは、若い女性向けのアパレルの社長(天海祐希)は、例えおばさんであっても「ゲロうま」なんて絶対に言わないし、一方でリリー・フランキー演じる倖田シュウのキャラクターも現実感がない。

勿論、映画的なキャラ作りとして過剰に演出しているのだろうが、全体的にうっすらとスベっているので、観ていてひいてしまった。

 

 

また、タイトルに歌手名があるからには本作で最もキーとなる「音楽との融合」だが、残念ながら成立していたとは思えない。

例えば、コーロキとあかりがデートを重ねて場面が何度も変わるシーンでは、シーン毎に音楽がぶつ切りにされて、居心地が悪い。あの編集は音楽に愛がない。「ヒット曲のサビだけサンプリングする」のは、演出が安っぽくなるので避けるべきだ。むしろ、シーンは変えても、音楽は1曲だけで良かったのではないだろうか。

 

 

また、脚本自体も完成度が低い。

例えば、コーロキがライターと一緒に猫を探すシーン。そもそも、「猫を一緒に探す」みたいなシーンは既視感があるし、その後の「猫に顔を引っ掻かれる」のは、藤子・F・不二雄の漫画で使われているレベルで、表現として古すぎる。コーロキの追い込まれている感を表現するにしても、他に手段はあっただろう。

 

また、編集長(松尾スズキ)が黒幕であるのはバレバレなので、やたらと引っ張るのは良くなかった。

 

さらに、ラストに三人の男が集合するシーンもついていけなかった。編集長が二人を集める理由が弱いし、思いのほか編集長が雑魚キャラだったので、クライマックスとしても成立していない。話のオチを強引に持って来た感じだ。

 

 

とまあ、否定的な感想ばかりだが、全体的には細かいことは気にせず楽しめる作品であった。そして本作最大の推しポイントは「水原希子のセクシーシーンがたくさんある」ことだ。それだけでこの映画には十分な価値があると私は思う。(ダメか。)