TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ
【評価】★★★★☆
クドカン節が活きる設定!マザファッカー!
【批評】
宮藤官九郎映画には、クドカン脚本で監督は別である作品と、クドカンが監督も脚本も行っている作品があり、それらは別として考えなければいけない。
クドカン脚本で最も有名な映画は『舞妓Haaaan!!!』であるが、あれは脚本のみの参加だ。圧倒的なスピード感と独自の感性で名作となったわけだが、あれは監督の水田伸生によるところが大きい。
というのも、あれだけのとんでもストーリーを見事にまとめた監督の力量は凄い。クドカンの発想のオリジナリティは誰もが認めるところではあるが、それを2時間の映画枠に収め、観客の観れるものにしたのは監督の腕だ。
一方、宮藤官九郎の監督としての能力はこれまではあまり評価できるものではなかった。特に、前作の『中学生円山』では、思いついたギャグを順番に映像化したといった感じで話が進み、収拾がつかないまま、最後には強引にいい話に持って行こうとして大失敗していた。しかもそのギャグも30点ぐらいのギャグで、映画館ではくすくす笑いさえ起こっていなかったのを覚えている。このとき、やっぱり監督がいないと厳しいんだなぁと実感した。
そんな前作があるため、宮藤官九郎監督の今回もあまり期待せずに見に行ったのだが、それがいい意味で裏切られた。
映画館では笑いが起こっていたし、最後まで退屈することなく見ることができた。そう、本作は成功している。
本作成功の理由は、クドカンのギャグが活きる2つの設定にあると思う。
ひとつは、地獄という舞台設定だ。
クドカンのギャグには基本的にフリがない。脈略のない怒涛のギャグは、ときに観客を困惑させることがある。つまり、観客が普段生活している延長にはない単語が突然に投げ付けられるので、意外な展開で笑うというより不条理で笑えなくなることがある。しかし、本作は舞台を地獄とすることで、そもそも観客の普段の生活とは関係のない舞台であるがゆえに、不条理なギャグを見せられても理解できないのが当たり前で、ひとつひとつのワードや演出にむしろ素直に笑えてくる。実際、映画館では何度も笑いが起こっていた。クドカンのギャグは(例えば「団地」のような)既存の現実に入れ込むよりも、今回のように架空の舞台のほうが活きると思われる。
クドカンギャグが活きるもうひとつの設定は、バンド設定だ。
そもそも、クドカン自信がバンドをやっていたこともあり、音楽とサブカルチャーへの知識が深いし、その業界の人間たちとの繋がりも広い。地獄とバンド、サブカルの相性も抜群で、みうらじゅんや片桐仁が自然とフィルムに入ってしまう。地獄のコードHなんて発想も面白すぎる。クドカンならではの単語である。
園子温の『TOKYO TRIBE』がラップミュージカル映画なら、本作は宮藤官九郎のロックミュージカル映画であり、こまめに入る音楽が映画にスピード感を与えており、気付いたら2時間経っていたという印象だった。
また、地獄だけのシーンでひたすら2時間やられると苦しいところもあるが、定期的に現世のシーンが入ることで、息抜きができるし、飽きることもなく見られる。
やや残念だったのは、ロックバトルのルールが意味不明で、ラスト直前はやっぱり収拾がつかなくなっているところだ。しかし、絵に勢いがあるので、あまり細かいことを気にしても仕方がない気がするし、ルールがなくてもごり押しできていると思う。
とにかく、地獄シーンのディテールへのこだわりは凄く、視覚的にも面白いシーンばかりである。
クドカン節に溺れる時間を味わうためにも、ぜひ映画館で見てほしい。
64-ロクヨン-後編
【評価】★☆☆☆☆
ださい映画。
【批評】
酷評するので、本作が好きな人は読まないでください。
さて、本作は終始センスのないシーンばかりでとにかく酷かった。日本映画の駄目なところが詰まっている映画だった。
特に酷かったのは、ラストに犯人を逮捕するシーン。逮捕される父親を見て娘が(わざとらしく)鳴き叫ぶ声が流れながらのスローモーション。
ださい。本当にダサい。そして寒い。
何も考えず「クライマックスはとりあえずスローモーションにしとけばいい」という『踊る大走査線』スタイルを見事に引き継いでいる。
他にもダサいシーンは盛りだくさんである。
白目を向いて意識を失う柄本佑。本格派シリアス映画だと思ってたのに、急にギャグ描写。
誘拐事件解決後、いびきをかいて寝ている柄本佑。そんなアニメみたいな演出あるか。
コスプレメイクでよちよち歩きながら「母さん!」と叫ぶ窪田正孝。相変わらずコスプレを脱せないメイククオリティ。
それを見てさいばしを握りしめる母親。さいばしって!いつの映画だよ!
犯人を追い詰めるシーンでは、犯人は都合よく河原に逃げていく。「今からここでびしょ濡れアクションシーンやるよー」と言わんばかり。ダサい。
今思うと、タイトルシーンの佐藤浩一の顔面アップからしてダサかった。あそこからヤバい感じはしていた。
無論、脚本も甘い。
例えば犯人の娘(妹)は、雨宮宅に進入しているところを佐藤浩一に保護されて事件が展開するのだが、そもそも女の子はどうやって雨宮宅に行ったのか謎。雨宮に誘拐されかけた過去はあるものの、自宅まで連れて行かれたわけじゃないし、なぜ住所を知っていたのか。いや、住所を知ったところで小学生が1人で行けるわけがない。
そもそも、雨宮宅に行った目的は貰ったものを返すためだろうが、だとしたら工場に隠れる意味もなく、堂々と玄関先に置けばいい。意味不明。
つまり、すべては事件を解決に持っていくためのまさに「都合のいい」展開でしかない。
その後の三上の行動もさすがに反則技という感じで凄い後味が悪い。原作も同じなのだろうか。主人公は正義感が取り柄だと思っていたが、とんでもなく汚いやり方でがっかりした。
さらに気になったのは、主人公夫妻の娘失踪問題。これがなんと解決されずに終わるのだ。
もちろん、ラスト近くに、明るい音楽にのせながらの公衆電話からの着信によって、娘の無事を暗示してはいるのだが、さすがにそれは説明がなさすぎる。そこはしっかりと解決させないと、カタルシスなんて生まれるわけがない。前後編にして時間はたっぷりあるのだから回収すべきところはちゃんと回収してほしい。ひどい。
偽装誘拐事件のラスト、お金を燃やすシーンでは、すぐそこに雨宮がいるのに誰も身柄を抑えない。ていうか捜査員は気づいてもいない様子。模倣誘拐の元の事件の被害者がすぐそこにいるのにスルーする警察って、意味不明。どう考えても1番怪しいだろ。ひどい。
とまあ、あげればキリがないのだが、とにかくひどくてダサい映画だった。
気に入らないのは、テレビ局製作なので広告は派手にやっており、さも名作かのように取り上げられているところ。こんな映画にお金を落とす人は気の毒だ。やっぱり前後編商法は駄目だなと実感した。
原作は人気であり、おそらくよくできているのだろうと想像する。
結局、ポルノ映画専門の監督が急に超大作を任されてまったく料理できていないといったところ。
もうポルノ映画に戻っていただきたい。
ヒメアノ〜ル
【評価】★★★☆☆
ひそひそ星
64-ロクヨン-前編
スポットライト 世紀のスクープ
【評価】★★★★☆
アイアムアヒーロー
【評価】★★★★★
これぞ和製ゾンビ映画。かなり頑張っている。
【批評】
『進撃の巨人』スタッフにはこれを見て反省してほしい。
「漫画原作の実写化」はどうにも嫌われがちであるが、その理由は、実写化に立ちはだかるいくつかのハードルにある。
・原作でキモとなるシーンの再現度合いが低く、ファンの期待に答えられない。
・原作通りのストーリー展開では2時間で収まらない。
・原作は連載が続いているが、映画では一定の結末を提示する必要がある。
・虚構が強い漫画を日本のCG技術ではリアルに再現できない。
・漫画の台詞を役者にしゃべらすとキャラクターが陳腐になる。
などなど。
他にもいくつか要素はあると思うが、『進撃の巨人』は上記のハードルすべてに見事にぶちあたって転げ落ちたことは周知の事実であろう。
一方で本作『アイアムアヒーロー』は、なんとかそれぞれのハードルを超えるラインに到達しており、ひいては映画オリジナルの恐怖感と爽快感の演出に成功している。
個人的にかなりお気に入りのシーンが2つある。
一つは、鈴木英雄視点で描かれる、日常から非日常への展開。
ゾンビ映画では、平和な日常がウイルスに侵食されていく過程をどうしても描かざるを得ない。(『アイアムレジェンド』という裏技もあるが。)原作ではそれを1巻丸ごと使う力の入れようで、またその最終シーンのあまりの衝撃さに読者は引き込まれる。
無論、映画の限られた尺の中ではそんなに時間を割けるわけもないのだが、その点、本作ではかなりうまく演出している。徹子のシーンは予想以上の迫力だし、仕事場での塚地武雅の狂気にはハラハラさせられる。そして、街中でひとり、またひとりとZQNの餌食になって、ついにはパニック状態に発展するまでの過程の疾走感たるや、映画独自の楽しさであり、素晴らしい。
また、クライマックスシーンも圧巻だ。
原作漫画は現在20巻まで出版されており、今なお連載は続いている。その作品に、映画としての結末を提示するためには、脚本の修正が強いられるわけだが、本作ではラスボスを作り出すことで映画としての完結に成功している。そのラスボスがまた、なかなかに手強くて、観客はハラハラすること間違いない。
大泉洋の演技も際立っている。というか、鈴木英雄を演じられるのは大泉洋以外にいない。
原作で描かれる頼りない感じ、馬鹿真面目なところ、でもいざという時にヒーローとなる瞬間、、。鈴木英雄そのものである。また、途中の間の抜けたセリフなんかも、漫画実写化特有のすべりはなく、普通に笑えたから凄い。緩急の演技がシームレスで繋がるあたり、大泉洋の力量は大きい。
あえて文句をつけるなら、タクシーがあれだけ事故ったのに人間は無傷でZQNは消えて無くなるってのはどうかと思うが、これはもうゾンビ映画のお約束なので突っ込まないこととする。(『ワールドウォーZ』なんて、飛行機が落ちても人間だけが生き残る都合良さっぷりだった。)
私は本作を「和製ゾンビ映画」としての完成系だと思っている。銃社会のアメリカではゾンビと戦う時も勿論銃をぶっ放すわけだが、日本ではそうはいかない。効くわけもないモデルガンを手にして戦う様はアメリカでは理解されないかもしれないが、これは和製ゾンビ映画ならではのシーンだと思う。
また本作メインのZQN描写も、R15指定であることに迷いのない振り切ったグロ描写も、「よくやってくれた」と言いたい。ときどき日本映画にある必要性のないグロ描写ではなく、本作でのグロ描写は観客を引き込むために必要な演出であり、効果的に使われている。なお、ZQN演出は韓国の会社によって手掛けられており、この点も、日本だけではできない完成度を達成させたよい判断である。
監督、脚本、演出、演技、特殊効果。
映画ならではの要素がつまりにつまった本作こそ、GWに見るべき一本である。