スポットライト 世紀のスクープ

【評価】★★★★☆

巨悪の再発を防ぐ価値ある映画。アカデミー賞作品賞も納得。
 
【批評】
本作に派手な演出は一切ない。暴力シーンもなければ性描写もない。ただただ、巨悪と戦うジャーナリストを描いた(ほぼ)ドキュメンタリー映画である。
 
カトリックやら教会やら、そのあたりの感覚は日本ではなかなか実感が湧かないところがあり、予習することをオススメする。
 
簡単にだけ述べておくと、事件のポイントは次の3点。
 
1. アメリカでは各地域にカトリック教会があり、信仰が根付いている。彼らにとって教会は神聖な場所であり、神父は神そのものである。そんな神父に我が子が特別扱いされるのは、親にとって喜びであり、子供にとっても光栄なこと。よって、神父に性的虐待を持ち込まれても逆らえないし、被害を受けてもなかなか打ち明けられない。
 
2. カトリックの神父は性行為が禁止されており、公には性欲を満たすことができない。その結果、手近にいる子供に手が伸びやすい。無論、この事実によって彼らの犯罪を擁護するものではない。
 
3. 教会は政治、司法、警察、メディア、地元社会との繋がりが強く、ある意味最大の権力機構である。裁判所の証拠品にだって手を入れる所業であり、組織ぐるみで児童への性的虐待を隠蔽していた。
 
 
ボストンの地元紙グローブがスクープしたこの事件は世界に衝撃を与えた。問題はボストンにとどまらず、アメリカ全土、世界に広がった。
それだけでピューリツァー賞は当然なのだが、ではそのスクープを映画化した本作は映画として評価できるのだろうか。
 
結果として、映画はとても面白い。無用にカトリックを敵視するものではなく、むしろ新聞記者たちの地道な取材過程を描いた点が良かった。
 
派手な演出はないが、事実が少しづつ明らかになっていく過程には恐怖を覚えるし、静かに葛藤を続ける記者たちの正義感には感動させられる。役者の演技もリアルであり、とくに証拠の獲得に走り回るマイク・レゼンデスを演じたマーク・ラファロが叫ぶシーンは力が入る。ちなみに、彼の実物の再現具合もなかなかいいらしい。
 
個人的には、スポットライトチームのリーダーであるウォルター"ロビー"ロビンソンを演じたマイケル・キートンに引き込まれた。彼は自分がかつて事件の一端を知りながらも注視しなかったという苦しい過去にぶち当たる。その後悔と自責の念と戦いながら、目先のスクープに囚われることなく、カトリック組織そのものに焦点を合わせてチームを率いていく。多くは喋らないが、彼のその目に宿る思いは映画演出でしか感じられない強いものがある。ぜひ、映画館で感じ取って欲しい。
 
 
本事件は、過剰な権力集中が腐敗を生み出すことの象徴であるがゆえに、映画化してより多くの人に知られるべきである。また、アカデミー賞として歴史に残ることで、これからのカトリックへの監視の役割も果たしている。本当に価値のある作品である。
 
 
鑑賞後は決していい気分ではない。それでも、より多くの人に見て欲しい。

アイアムアヒーロー

【評価】★★★★★

これぞ和製ゾンビ映画。かなり頑張っている。

 

【批評】

進撃の巨人』スタッフにはこれを見て反省してほしい。

 

「漫画原作の実写化」はどうにも嫌われがちであるが、その理由は、実写化に立ちはだかるいくつかのハードルにある。

・原作でキモとなるシーンの再現度合いが低く、ファンの期待に答えられない。

・原作通りのストーリー展開では2時間で収まらない。

・原作は連載が続いているが、映画では一定の結末を提示する必要がある。

・虚構が強い漫画を日本のCG技術ではリアルに再現できない。

・漫画の台詞を役者にしゃべらすとキャラクターが陳腐になる。

などなど。

 

他にもいくつか要素はあると思うが、『進撃の巨人』は上記のハードルすべてに見事にぶちあたって転げ落ちたことは周知の事実であろう。


一方で本作『アイアムアヒーロー』は、なんとかそれぞれのハードルを超えるラインに到達しており、ひいては映画オリジナルの恐怖感と爽快感の演出に成功している。


 個人的にかなりお気に入りのシーンが2つある。


一つは、鈴木英雄視点で描かれる、日常から非日常への展開。

ゾンビ映画では、平和な日常がウイルスに侵食されていく過程をどうしても描かざるを得ない。(『アイアムレジェンド』という裏技もあるが。)原作ではそれを1巻丸ごと使う力の入れようで、またその最終シーンのあまりの衝撃さに読者は引き込まれる。

無論、映画の限られた尺の中ではそんなに時間を割けるわけもないのだが、その点、本作ではかなりうまく演出している。徹子のシーンは予想以上の迫力だし、仕事場での塚地武雅の狂気にはハラハラさせられる。そして、街中でひとり、またひとりとZQNの餌食になって、ついにはパニック状態に発展するまでの過程の疾走感たるや、映画独自の楽しさであり、素晴らしい。


また、クライマックスシーンも圧巻だ。

原作漫画は現在20巻まで出版されており、今なお連載は続いている。その作品に、映画としての結末を提示するためには、脚本の修正が強いられるわけだが、本作ではラスボスを作り出すことで映画としての完結に成功している。そのラスボスがまた、なかなかに手強くて、観客はハラハラすること間違いない。


大泉洋の演技も際立っている。というか、鈴木英雄を演じられるのは大泉洋以外にいない。

原作で描かれる頼りない感じ、馬鹿真面目なところ、でもいざという時にヒーローとなる瞬間、、。鈴木英雄そのものである。また、途中の間の抜けたセリフなんかも、漫画実写化特有のすべりはなく、普通に笑えたから凄い。緩急の演技がシームレスで繋がるあたり、大泉洋の力量は大きい。


あえて文句をつけるなら、タクシーがあれだけ事故ったのに人間は無傷でZQNは消えて無くなるってのはどうかと思うが、これはもうゾンビ映画のお約束なので突っ込まないこととする。(『ワールドウォーZ』なんて、飛行機が落ちても人間だけが生き残る都合良さっぷりだった。)


私は本作を「和製ゾンビ映画」としての完成系だと思っている。銃社会のアメリカではゾンビと戦う時も勿論銃をぶっ放すわけだが、日本ではそうはいかない。効くわけもないモデルガンを手にして戦う様はアメリカでは理解されないかもしれないが、これは和製ゾンビ映画ならではのシーンだと思う。

また本作メインのZQN描写も、R15指定であることに迷いのない振り切ったグロ描写も、「よくやってくれた」と言いたい。ときどき日本映画にある必要性のないグロ描写ではなく、本作でのグロ描写は観客を引き込むために必要な演出であり、効果的に使われている。なお、ZQN演出は韓国の会社によって手掛けられており、この点も、日本だけではできない完成度を達成させたよい判断である。



監督、脚本、演出、演技、特殊効果。

映画ならではの要素がつまりにつまった本作こそ、GWに見るべき一本である。


 

 

名探偵コナン 純黒の悪夢

【評価】★★☆☆☆

蘭ねーちゃんの「すぃいいんいぃちちぃぃーーー!!」が映画で見れないなんて。
 
【批評】
赤井秀一と安室透が主人公。その他は脇役。
 
コナンの映画は毎年「推理」を放棄していて、ただのアクション映画であることはご存知の通りであるが、それでも毎年ほんの少しは推理要素があったはず。しかし今回は本当に推理要素は無く、アクションのみ。でもまあ、コナン映画を観に行く層が今更そんなことに文句を付けるはずはないだろうし、また、本作はその代わりに黒の組織との対決がふんだんに描かれており、コナンファンとして嬉しいところであろう。
 
実際、冒頭のアクションシーンは掴みとしてはよかったし、コナン映画定番の蘭ねーちゃんによる「すぃいいんいぃちちぃぃーーー!!」のシーンは無く、「対黒の組織」にフォーカスした点は良かったと思う。
 
原作本筋の「組織No.2の[ラム]とは一体誰なのか?」という謎解きについては、さすがに映画では進展はないのだが、「安室と松田刑事」という新しい関係性が提示されるとともに、安室がなぜ赤井秀一を敵視するのかについてもヒントが与えられている。このあたりは原作でも明かされていない部分について踏み込んでおり、原作連載を追っているコアファンにとっても楽しめる要素になっている。
 
ただし、映画の脚本としてはさすがに突っ込みどころが多過ぎて、良しとはできない。
 
まず、「ゴンドラごと拉致する」って絶対無理だし。あんな特注品のヘリ持ってるって相当目立つと思うんだけど。黒の組織は秘密裏に活動しているはずなんだけど、もはや自分たちから目立ちにいってるとしか思えない。また、安室は公安として重要な任務中に、赤井に喧嘩をふっかけて殴り合いを始める始末。しかも観覧車の上で。いやいやいや、とりあえず黒の組織を捕まえてから好きなだけ喧嘩しとけよと。
 
あと、(これは私が映画をちゃんと見れていないのかもしれないので、明確な理由があるならば教えてほしいんですが、)公安はキュラソーの記憶を取り戻させるために彼女を観覧車に入れるわけだけど、そもそも色彩をもとに記憶を取り戻すなら同じ色のフィルムを見せればいいだけではないだろうか。観覧車に乗せなければいけない理由がよくわからないし、一方でなぜ黒の組織は公安がキュラソーを観覧車に乗せることを従前に(少なくともあのヘリを用意できるほど十分な時間を確保できるほどに)予測できたのかはよく分からない。結局の所、観覧車に乗せる必然性はなく、映画のクライマックスシーンのために、「観覧車ありき」だったとしか思えない。
 
脚本の決定的に冷めた部分は、キュラソーの改心までの過程の弱さにある。記憶を取り戻したキュラソーは最終的に黒の組織を裏切るわけだが、そのきっかけは、子どもたちから「自分の好きな色に染めるんだ」という言葉に触発されたことだ。いやー、黒の組織のメンバーのマインドの弱さと言ったら無いね。そんなこと言われたぐらいで裏切られるようじゃ、闇の組織としてガバガバですわ。
 
 
まとめると、アクションのアニメーションには力を入れているものの、肝心の脚本は穴だらけで、さすがに映画のひとつとしては評価できない。それでも、上記したような原作にはない話もあるので、コナンファンとしては当然に見ておくべき作品だろう。
 
でも、最後にひとつだけ言わせてほしい。
 
コナン映画の登場人物、記憶無くし過ぎ!!
 
 
 
 
 
 

ジュラシック・ワールド

【評価】★★★☆☆

迫力満点の映画館向け映画。落ち着いて考えると脚本はひどい。
 
【批評】
何も考えずに楽しめる2時間だった。
 
人類は何故か過去の過ちを学ばない。ジュラシックパークであれだけの大失敗をしたのに、やっぱり恐竜アトラクション施設を作っちゃう。そして案の定、肉食恐竜は逃げ出しちゃう。
いつの時代もよからぬことを企む悪いやつがいる。そしてそういつやつはやっぱり喰われちゃう。
主人公は絶対死なない。子供も絶対死なない。
 
とまあ、定番中の定番を予定通りになぞった結果、大衆受けに成功し、興業収入は歴史的な記録を残そうとしているこの映画。
恐竜の映像は迫力満点で、CGと実写がシームレスに繋がっている。
 
(このあたり、日本の「進撃の巨人」スタッフは見習うべきだ。「進撃の巨人」では、明らかにCGと人間のアクションが別物で、アクションシーンのテンポが悪く、現実感が乏しい。一方で、本作では精巧なグラフィック処理と編集により、臨場感が溢れており、そこに恐竜がいる恐怖感が伝わってくる。
これは予算だけの問題ではない。編集センスの問題だ。)
 
見終わった直後は「楽しい映画だったなぁ」と興奮すること間違いなし。
 
しかし、それが冷めてくると、「あれ?そもそもあそこおかしくね?」という部分が多々出てくる。
 
その最大が作品のテーマ性だ。
 
本作は明らかに「生命の営み」をテーマに掲げている。いや、むしろそのテーマ自体はシリーズを通して一貫されており、「人間が生命を操作することの愚かさ」を訴え続けている。
本作はそこを過去作以上に押し出しているのだが、それがやや強引だと思う。
 
気になったのは2点。
 
1点目は、純粋な生命の営み、つまり「家族愛」に関する描写だ。
 
物語の序盤、男の子が兄に向かって、両親が離婚しそうであることを話しだす。しかしこの話題に至った明確なきっかけがないため、やや唐突感がある。
ハリウッド映画では、「家族の仲がギクシャクしていたのが、困難を乗り越えることによって絆が深まる」というのは定番中の定番だが、なんと本作では、この「両親離婚問題」は回収されない。
最後に「無事で良かった」みたい感じで抱き合ってたが、それじゃあ説明できていない。
これじゃあ両親不仲設定は不要だ。
 
しかも母親のほうを「仕事に集中しているから子供の面倒が見れないダメな親」みたいに描いている一方で、父親に関する批判は一切ない。(あえていうなら、冒頭のブラックジョークが笑えないくらい。)
 
さらに気になるのが、ヒロインのクレアの設定。こちらも仕事バリバリのために未婚で子供がいない。忙しすぎて甥の世話もできないほど、みたいな描きかた。
 
これはもう、監督か脚本は、本能的に女性蔑視の傾向があると思われる。「女性が仕事なんかバリバリやってたら、子供の世話もできないし、下手したら結婚もできんよ」という考えが見えて気持ちが悪い。
 
 
気になった2点目は、新種ハイブリッド恐竜「インドミナスレックス」だ。
人間のエゴによる生命の創成が愚かである象徴として描いたのだろうが、これはさすがにやりすぎ。
頭脳は高いし、ラプトルと会話して命令するし、擬態化するし。
これはもうね、恐竜じゃないよ。こんだけやってしまったら、これはモンスター映画です。
ジュラシックパークシリーズの良さは、あくまでも「現代によみがえった恐竜たち」のはず。それが勝手にモンスターを作っちゃったら、それはもう違う映画でしょ。
 
 
他にも突っ込みどころは多々ある。
そもそもパークの客は、問題発生後どこに集められてたのか。そして、なぜ「インドミナスレックス」はそこに直行しないのか。
子供なのになぜかマッチを持ってる。しかも、川に飛び込んだ後なのに普通に燃える。
ラプトルが人間を助ける、、わけないだろーが。
Tレックスを誘い出すのに、ただの全力疾走で逃げきっちゃう。しかも女性のスピードで。
なぜかTレックスは人間を襲わない。インドミナスレックスを殺したら、(ゴジラが海に帰ったように)颯爽と森に帰っていく。
 
 
とまあ、突っ込みどころは多い。
 
本作は入場ゲートやTシャツなど、第1作「ジュラシックパーク」へのリスペクトに溢れており、ラストシーンは1作目とほぼ同じである。
シリーズの象徴であるTレックスの勝利を描くことで、第1作へのリスペクトと、愚行の繰り返しを表現しているようにも思える。
 
何であれ、迫力満点の映像を楽しむためにも、映画館での鑑賞をおすすめする。
 
 

進撃の巨人

【評価】★★☆☆☆
ハードルを下げに下げて見れば楽しい。

【批評】
実写化なんて不可能だったんだ。
原作の圧倒的な世界観を実写で再現するのは「無理」だったんだと思う。たがらこそ、最初に監督として名が上がっていた中島哲也は途中離脱したのだろう。彼の判断は正解と言わざるを得ない。

本作品最大の勝負所はどう考えたって「巨人」の描写だ。確かに、最初の超大型巨人は気合いの入った映像だった。しかし、そのあとのノーマル巨人が問題だ。意図して人間に近い描写にしたのはわかるが、どう見てもただのおっさん。それも、キモおじさん系AV男優にしかみえないから笑えてくる。また、最初に壁の穴から出てきた先頭のやつなんて、アンガールズ田中にしか見えなくて、「こっちが寄せてどうするんだよw」と突っ込みが止まらない。

脚本の破綻については各レビューで総突っ込みされている通りである。
巨人に気付かれるから「叫ぶくらいなら舌を噛め!」と言われるぐらい静かにしないといけないのに、ペチャクチャとしゃべり出す兵たち。「子供の泣き声がする」とかいう理由で勝手な行動に出て、結果仲間を大量に殺させる女。その女と主人公の明らかな単独行動なのに、それを戒める仲間と喧嘩して勝ったら偉いみたいな謎理論。女をとられたくらいで、我を忘れて叫び出す主人公。(あれだけ静かにしろって言われてて、大量の犠牲も出した後なのにw)
普段いろんな映画にあれだけ文句を言ってる町山智浩が脚本に加わりながらこのザマだと考えると、脚本って難しいんだなぁと再認識した。

俳優陣の演技も作品の質を下げている。
水原希子は黙って立ってたら様にはなるけど、喋ると演技力の無さが浮き彫りになってしまう。超大型巨人の登場で後ずさるシーンでは、ぶりっこのように長い袖を掴んでて、「今ぶりぶりしてる場合じゃねえだろw」と突っ込み。「ノルウェーの森」でのデビューは良かったけど、もうちょっと舞台とかをこなして力を付けた方がいーんじゃないかな。

石原さとみも納得がいかない。あの世界でのあの地位にしては顔が綺麗すぎる。汚れを知らない顔でしょ、あれは。あと、そもそも滑舌が悪いせいで、石原さとみが偉そうに喋っててもしまらないんだよね。「失恋ショコラティエ」のときみたいな可愛いお姉さん役がはまってるんじゃないかな。

エンディング曲はコメントなし。


さて、ここまでおおいに批判してきたけど、以上を踏まえたうえでハードルを下げて見に行けば十分楽しめるはず。
舞台を日本に変えた、みたいな原作改編は成功だと思うし、今実写化するなら、それしかないと思う。
他にない世界観。グロシーンはPG12ギリギリを攻めてる。動く巨人は一見の価値あり。
今の日本の映画界を考えれば、今回の出来が確かに最高だとも思う。

ただ、後編を見たいかと言われたら、話題を変えるだろうよ。

海街diary

【評価】★★★☆☆

現実の風景や人間を現実よりも一段と美しく映す天才。これはもうヒーリング映画。

 

【紹介】

「誰も知らない」「そして父になる」の是枝裕和監督の最新作。原作はマンガ大賞2013受賞。

 

【批評】

とにかく絵が綺麗。

 

鎌倉の海、町並みは勿論のこと、すずが二人のりの自転車で桜並木のトンネルを抜けるシーンは実写であることを疑うほど美しい。これもまあ是枝監督の力であり、「そして父になる」のラストシーンを連想した人も多いはず。

2時間たっぷり、ストーリーにこれといった起伏なしの映画なのに、最後まで飽きずに見られるのは絵の美しさによるところが大きいと思う。

 

そして出て来る人物の心も、これがまた美しい。登場人物全員性格がいい。腹違いの妹との突然の共同生活がここまで無難に進むとは思えないけど、みんないい人だから大きな問題なく生活していく。すずもあまりに性格がよく、「幸ねえのこと、三人で一緒に考えたい」なんてこと言う中学生いない、いるはずがない。(無論、いい子を演じているのはそうだが、ここは本音だと信じている。)

このあたり、当然、ファンタジーであることを意識して監督は作られているのだと思う。今回は徹底して「美しい映画」を撮りたかったのだろう。

 

そしてこの映画は、泣ける。ラストシーン手前の、幸とすずが丘の上で叫ぶシーンはもちろんのこと、佳乃が幸に仕事で出会う「死」について質問するシーンなど、随所に泣けるシーンがちりばめられている。それも”さらー”と粘度の低い涙が流れる感じで、泣いているこっちの心が浄化される感覚になれる。

 

総評して、これはもうある意味「ヒーリング映画」だと思う。美しい景色と美しい人間ドラマを見せることで、観客の心を癒して浄化する効果があるのではないか。

 

ただし、ストーリーはどうなんだろう?という感じ。親との確執であったり、不倫問題であったり、テーマ自体はこれまでに使い古された内容ばかり。「ありきたりの問題に対して、可愛い女の子と地域の人たちが苦労する」という、なんだか、朝のNHK連続テレビ小説を2時間見せられているようでした。

 

それでも、最後まで飽きることなく見れるのは、この映画がヒーリング効果抜群だから。最近心が疲れているあなたにおすすめの映画です。

 

名探偵コナン 業火の向日葵

【評価】★★★★☆
シリーズの中でもプロットが良い。定番と新鮮さのバランスが絶妙。

【紹介】
お馴染みの名探偵コナン映画第19作。鈴木治郎吉は世界に7枚存在するといわれるゴッホのひまわりを集めた展覧会「日本に憧れた向日葵展」を開催することに。しかし、そのうち一枚を日本に輸送する際に、ひまわりを怪盗キッドに奪われてしまい、、、。

【批評】
ゴッホのひまわりに着目してコナン映画を作る、という発想がすでに勝っている。

そもそもひまわりはミステリーとして面白い。全7作あるという事実。2作目のひまわりは芦屋で焼失したという歴史。そして5作目に残る贋作疑惑。さらにその5作目が日本にあるということ。
これらの事実だけでも興味深いが、そこに、「2作目が実は残存していた」というところから始まる物語は、コナンでなくとも絵画ミステリーとして成立しそうだ。

そこに、コナンの要素が効果的入ることで、観客を飽きさせない仕組みになっている。つまり、コナンvs怪盗キッドの構図だ。

ちなみにこの映画にトリックはない。犯人を追いつめるロジックもほぼない。いわゆる謎解き要素は「なんでキッドがこんなことをするのか?」に絞られる。
怪盗キッドは訳あって宝石以外は盗まない主義であり、また、人を傷つけるようなことは絶対にしない、という前提を知っていないと厳しいかもしれないが、劇中で一応ちょっとだけ、説明されるので問題ない。

また、コナン映画定番のアクションシーンは、なかなか頑張っていたと思う。激しく入れ替わるカメラワーク(視点)と、実写ではありえない効果を使って、実写以上の躍動感が表現されていた。ラストの脱出シーンは、もはや何が起きているのかよくわからなかったが、まぁそれも良しとしよう。


さて、一方で真犯人の動機の酷さに批判があるようだが、それは確かにそうかもしれない。動機の理不尽さとしては、コナン映画史最悪の呼び声高い「天国へのカウントダウン」を凌ぐかもしれない。
でも、個人的には「プロのプライドとして贋作が許せない」ってのはありなんだよな。芸術に関わる人は、一般人とはどこか違う価値観があって良いと思う。ただ、それは良いので、じゃあなんであなたは贋作だと判断したのか、その説明が無さすぎる。プロならプロとして、贋作を疑わない理由を教えてほしかった。そこがちゃんと語られていれば、一気に重厚感あるフィナーレになったんじゃないかな。その点は少し残念だ。

もう1点、残念なところをあげると、それは灰原哀だ。
劇中で「見つめているだけじゃ駄目だ」とアドバイスされ、心動かされているにも関わらず、最後の最後までやっぱり見てめているだけで、終わってしまっている。ラストシーンで、「湖の下にコナンがいるかも」ってときに助けて欲しかったなぁ。それでこそ、「見つめているだけ」から「行動した」ことになるんじゃないか。

そうは言っても、映画として面白いことは間違いない。コナンファンは当然のこと、そうでない人にもおすすめしたい。

なお、ゲスト声優が犯人役をやってしまってオチがバレバレ問題は、もはや治らないので、私は気にしないことにしている。