美しい星

【評価】★★★★☆

パワーワード満載映画。

 

【批評】

吉田大八監督は、この世界にまたひとつ「みんなでワイワイ言いたくなる映画」を作り出してくれた。いち映画ファンとしては、それだけで感謝したい。

本作は、観る人それぞれによって思うところがある作品だと思う。以下、私が注目した点を挙げていきたい。

 

 

◆効果的な食事シーン

 

福田里香さんのフード理論にもあるように、「映画における食事シーンには全て意味がある」と考える人も多いが、本作ではかなり効果的に食事シーンが使われている。

 

冒頭の食事シーンの不穏な空気や、ケーキのサプライズ時に本人がいない間の悪さは、家族のバラバラ感を一瞬で説明している。

また、亀梨和也演じる一雄は、遅れて来たと思うとすぐに妹の皿の肉を躊躇なく食べる。これは、「永い地球の歴史の中で、突然遅れて現れた人類が、地球の資源を乱暴に使用し、環境を破壊する身勝手な様」を表現している。あのとき観客が感じた「イラッ」とした感情は、作中で水星人が地球人に感じている嫌悪感と同じである。

実にうまい演出だ。

 

橋本愛演じる暁子は、ストリートミュージシャンの竹宮を追いかけ、金沢で再会する。しかし、スクリーンはその後、不自然に二人が静かな旅館で向かい合って食事をするシーンに跳ぶ。この間何が起こったのかの説明がないため、観客は必ず違和感を抱くだろう。

クライマックス直前になって、暁子がレイプされていたことが明かされるのだが、そんな答え合わせなんてなくても、暁子がレイプされていたことは食事シーンを見ればわかるようになっている。

そもそも、男女が向かい合って食事をするシーンは、セックスを意味することが多い。さらに、マイペースにどんどん食事を進める竹宮に対し、暁子はまったく食事が進んでいない。ここでは、食欲=性欲であり、竹宮の一方的な性欲が、暁子を攻撃していることを意味する。

観客があのシーンで抱いた「嫌な感じ」は、吉田大八監督の狙い通りだ。

さらに監督が上手いのは、「金星人かも」という疑惑を効果的に組み込んでいることだ。そのせいで、観客は最後まで「本当のところは処女受胎かも?」という希望が消え切らない。あえて「もやっ」とした感情を消し切らない、憎い演出である。

 

佐々木蔵之介演じる謎の男(水星人)は、異常に丁寧に食事をする。汚い定食屋において、彼の良すぎる行儀は浮いている。ではなぜ、彼の行儀はそこまで丁寧なのか。

それは、水星人としての「自然を大事にする」信念の表れである。「食事をする」ということは「自然を頂く」という行為でもあり、食事中の行儀は、自然に対する尊敬の念である。反対に、背景に映る人間たちの行儀の悪さは、環境破壊を繰り返す人類そのものなのだ。

 

このように、本作における食事シーンはとにかく気を遣って撮られている。そこに注目するだけでとても面白い映画だ。

 

 

◆ラストシーンの意味

 

 リリー・フランキー演じる大杉重一郎が円盤に乗って地球を見下ろすラストシーン。このシーンをどう解釈するかは人それぞれであろう。

 

シンプルに考えれば、「火星人としての重一郎の魂が、任務を完了して火星に還った」ということであろう。地球人としての重一郎はガンにおかされ寿命だが、火星人の魂は生かせることに気付いた家族が、重一郎の魂を救ったのだ。

 

ただ、ここはやはり地球人としての重一郎の死も同時に表していると思う。根拠は、「忘れものですか?」と、繰り返し問いかけられながら、地球を眺める重一郎の表情だ。

この表情は、監督が「淡々と、子供がぼーっとしているみたいに」と指示している。つまり、完全に100%火星人としての表情である。しかし、であるならば、そもそもなぜ地球を見ようと思ったのか、残った(元)家族をなぜ探したのか、に説明が必要だ。そしてそれは、円盤の中の重一郎に、地球人としての魂が残っているからに違いない。つまり、地球人の重一郎が地球を離れる=重一郎の死となるわけだ。

 

さらに、夜の山の道中、円盤を案内する使いとして牛が現れる。いうまでもなく、牛はヒンドゥー教における聖なる生き物であり、輪廻転生の象徴とされる。つまり、地球人としての重一郎はここで死ぬが、いずれは生まれ変わって帰ってくるという、ハッピーエンドを描いているのだ。

また同時に、「地球人の生まれ変わり」、つまり「地球人が反省し、やり直すこと」をも示している。

 

 

◆謎の男(水星人)のボタンは何だったのか?

 

安直な可能性としては、①水星人が考える地球再生プロジェクトの始まり。②重一郎の死の始まり。が考えられるが、それではスイッチの中身が空だったことに説明が付かない。

そこで私が考えるのは、「もともとは地球人リセットボタンだったが、重一郎の願いが太陽系惑星連合に届き、重一郎の身体の死と引き換えに無効化された」というものだ。

この考えであれば、スイッチの中身が空だったことと重一郎が血を吐いて倒れたことが結びつく。

さらに、対立していた水星人は、血を吐いて倒れた重一郎を抱き上げる。これは、自らの身体を犠牲にしてでも地球人を守った火星人への礼儀だと考えられるのではないだろうか。

 

 

◆なぜ円盤は福島に来たのか

 

原作では、人類が直面する危機は地球温暖化ではなく、核戦争である。となれば、現代の時代設定で、3.11を素通りするワケにはいかない。

しかし、監督は福島第1原発事故を主題には置かなかった。これは、原発に紐付くそれぞれの政治的な立ち位置が、映画にとってノイズとなることを懸念したようだ。

ただし、完全にスルーするのではなく、円盤が登場するそのシーンに福島を選んだ。人類と自然の不均衡な関係性の象徴である立入禁止区域において、人類が歩むべき解があるのだと、監督は示している。

 

 

パワーワードの数々

 

これまで真面目に語って来たが、そもそもこの映画はかなり笑えるということも、魅力的な要素のひとつだ。何より、「異星人と地球人が家族」というおかしな設定のお陰で、溢れ出るパワーワードの数々が面白い。

「金星人でもちゃんとしなきゃダメよ」とか、面白くて頭に残るワードがたくさん登場する。これだけ考えされられる映画が、同時に笑えるというのは、エンターテイメントとしての完成形といえるだろう。

 

 

本作には、他にもまだまだ論点はあり、すぐには語り尽くせない。本当に恐ろしい映画だ。

ここまでの批評で語り切れていない部分として、例えば、

・「美しい水」とは?

・劇中歌「金星」の歌詞

・一雄(亀梨和也)の投球フォーム

・「本当の美」とは?

・一雄はなぜ「メッセンジャー」なのか

・重一郎、一雄、謎の男(水星人)の論争

など、まだまだある。

 

クライマックス直前の山場である論争シーンで、謎の男(水星人)は「地球人は自然を美しいという。しかしその自然に自分たちは入っていない。」という矛盾を突き付ける。

この矛盾には、重一郎が、車で福島に連れて行かれる中、街中のネオンを見て呟いた一言で答えている。

「やっぱ、綺麗だな」と。

そう、人間たちもやはり美しいのではないか。「美しい星」には、人間が入っているのではないか。そんな監督のメッセージを私は感じ取った。

 

今後、より多くの人が見て、より多くの角度で論じられることが楽しみでならない。