読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

湯を沸かすほどの熱い愛

【評価】★★★★☆

死を覚悟した者は強い。

 

【批評】

映画には思考実験的な意味合いがある。

 

映画は、特に邦画は、「現実的にはあり得ない」という理由で批判されがちである。

しかし、落ち着いて考えれば、普通は魔法なんて使えないし、宇宙戦争なんて起こらない。映画の中の出来事は非現実的であることが当たり前だ。

しかしなぜか、ヒューマンドラマに限っては、人はスクリーンの中の出来事が自分の生活の延長かのように捉えて、「現実にはこんな奴いないよ」という理由で批判しがちである。その批判は実は少し間違っていて(ここで「少し」とする理由は後述)、スクリーンの中は非現実的であることが当たり前なのだ。非現実を映すからこそ映画であり、現実が見たいならドキュメンタリーを見ればいいし、むしろ散歩をしていればいいだろう。

 

じゃあ映画は単純なファンタジーでいいのかというとそうではない。映画は、その中で実に非現実的な物語やキャラクターを描くことで、逆説的に「多くの人に刺さるリアリティ」を突きつけるのだ。その意味では、映画はあまりにも「現実的」なのだ。

 

付け加えれば、「こんなの非現実的だ」と批判されて共感を謝絶されるような映画は、それはそれで失敗しているので、そこを庇う訳ではない。

 

 

さて、本映画の主人公、お母ちゃんこと双葉は、実に非現実的な人間である。

多くの人は、彼女の熱すぎる暴走に共感できないことであろう。

 

例えば、イジメを受けて学校に行くのを嫌がる娘の安澄に対して、かなり強引に学校に行かせようとする。おそらく、この対処法は現実的には最悪だ。場合によっては自殺を誘発するだろう。絶対にしてはいけない。

 

映画では、安澄は「教室で下着姿になって抗議する」という無茶な行動をする。結果的に隠された制服は帰ってくるものの、実際あんなことをすれば笑われるし、その後日も笑いのネタにされること間違いない。イジメは絶対に解決しない。それどころかヒートアップするだろう。

 

母親の教育も、イジメ被害の解決法も、明白に間違っている、つまりこのシーンはとても「非現実的」だ。

 

そしてこれが非現実的であることは監督も織り込み済みのはずである。ともすれば、「こんなことはあり得ない」として観客を失いかねないリスキーなシーンである。ではなぜ、監督はこのシーンを作ったのか。それは、『湯を沸かすほどの熱い愛』を表現するために他ならない。

 

暴力的なほど強い双葉から安澄への愛。お母ちゃんからの試練に耐えれば良いことがあると信じる安澄から双葉への愛。そしてお互いの共通点を見つけることで愛が形になる。

イジメシーンはこれらを表現するうえではなくてはならない。そして、後半への効果的な伏線となっているところが、実に巧妙にできている。

 

 

世の中の映画に、いわゆる「難病もの」が多い理由は、単に容易に感動シーンを演出できるからだけではなく、死を覚悟した人間がとる行動にこそ、作り手が思う人間の本質を描くことができるからだ。

 

現在公開されている『聖の青春』は、実在し、若くして他界した天才棋士村山聖を描いた作品である。彼の生涯が魅力的である理由は、単純に天才であるだけでなく、死を前にした彼の将棋への想いが多くの人を魅了するからだ。彼にとって将棋での負けはリアルにイコール「死」である。そんな魂の生き様は、何かに挑戦する人、何かと闘う全ての人にとって、心揺さぶられるものに違いない。

 

そして本作も、フィクションであるものの、死を覚悟した双葉の行動は、多くの人の心に突き刺さるであろう。

 

例えば、旅行中に出会った青年の拓海は、何の目的地もなくぶらぶらと放浪していたが、双葉は彼に目的地を与え、熱く抱擁する。物語上、唐突とも思えるキャラクターの拓海は、生きる目的を見失った私たちを表している。そして、そんな私たちに対して、「なんでもいいから目標を立てて、そこに突き進めばいいんだよ」と優しく語りかける。双葉の行動だからこそ、観客の心に響くのだろう。

 

旅行終盤、突然のビンタから始まる衝撃の展開に私たちは目が離せなくなる。この展開もとてもテクニカルである。

そして、双葉のあまりにも深く熱い愛情に観客の身体がしびれる。振り返るといくつもの伏線が張られており、その優しい回収には関心すると同時に感動させられる。

 

 

また、映画終盤には、最大の感動シーンがやってくる。

 

「死にゆく病人への、病院の窓から見えるせめてもの贈り物」パターンは映画でもドラマでもアニメでも漫画でも使い古されているが、本映画のそのシーンは、今まで見たどんなシーンよりも感動的だった。

上手いと思ったのは、ちょっと笑えるシーンでもあることだ。夜に人間ピラミッドなんてあまりにもバカバカしい。しかしその笑いが、一気に涙に変わっていく不思議な体験をした。まさか今更このパターンで泣かされるとは思っていなかった。

 

ラストシーンも特徴的だ。銭湯で火葬するなんてやっぱり非現実的であるが、映画全編で描かれた双葉の愛を強烈に表現し、映画を締めくくる、効果的なシーンだったと思う。

 

タイトルバックからのエンドロールで、あなたの心に残るものこそ、監督が「非現実的」なストーリーであなたに与えた「リアリティ」である。