君の名は。
【評価】★★★★☆
美しい絵と音楽で錯覚しよう!
【批評】
新海誠作品がついに世間に認められた(?)本作。本年の『シン・ゴジラ』に次ぐ社会現象となりつつある。
そもそも新海誠はこんなに売れるはずではない。新海誠作品といえば、セカイ系の代名詞とも言える『ほしのこえ』に始まり、幼い恋愛観をベースとした主人公の厨二的語りをだらだらと聞かされる、まさにサブカルオタク妄想映画のはずだった。
それでも、ファンの間で高い人気を得ているのは、ひとえに圧倒的な景色描写の美しさと音楽(とりわけJpop)の使い方の上手さにある。もともと、新海誠作品は、絵の綺麗さ10点、音楽の使い方10点、ストーリー2点の映画だと私は思っている。
過去作の中で最も人気の高い『秒速5センチメートル』なんて、落ち着いて考えたらたいしたストーリーではない。第一部はただただ電車に乗って女の子に会いに行くだけの話だし、第二部は思わせぶりな態度をとりつつ結局「前の女の子が忘れられないんだよ」と言うだけで、第三部は社会人になっても初恋の人が忘れられず会社を辞めるコミュ障の話。私は映画館で「何も起こらなくてつまらないなぁ、、」なんて思っていたら、突然の『One more time, One more chance』に心震え、美しい歌に合わせて流れる美しい景色描写に感動し、最終的には「いい映画を見たなぁ!」と満足して映画館を出たのを記憶している。そして、これこそが新海誠映画なのだ。
次作『星を追う子ども』は強いジブリ意識で空振りした感はあったが、その後の『言の葉の庭』では、再び「景色描写+鬱語り+音楽」の方程式が復活していた。
そして今回の『君の名は。』は、鬱語りこそマイルド化したものの、方程式にほぼほぼ従っている。確かにストーリーには一捻りあったが、どこかで見たことあるような設定ではあるし、高校生が変電所を爆破するという無茶な展開、友達が無線にやたら詳しいといったご都合主義の展開は否めない。つまり、ストーリーはやはりそこまで評価されるものではない。それでも、「美しい景色描写+RADWIMPSの音楽」は最高で、心地がいい。冒頭のタイトルシーン、ラストのエンドロールまでの流れ、この2点の絵と音楽のコンビネーションは、他のアニメ映画ではありえない完成度である。そしてやはり、これだけでもう、いい映画を見ているような(良い意味の)錯覚をしてしまうのだ。
宮崎駿引退後の今、もはやジブリ作品だからといって売れるとも言い切れない時代になってきた。大衆ウケできる、漫画やアニメ原作でないアニメーション映画は細田守ぐらいに限られてきた感さえある。そこで、東宝が目をつけたのが新海誠であり、今回の大ヒットはまさに作戦が成功した形である。
また、ストーリーはそこまで、とは言ったものの、かつてに比べればとても見やすいものになっていると思う。例えば、冒頭から、入れ替わっていることにお互いに気付くところまでのテンポのよさは快適だった。観客はそもそも予告編等でだいたいの設定は知っているわけで、設定紹介をだらだらとやられても退屈するわけだが、効果的な場面やセリフと、テンポの良い展開からの『前前前世』までのノンストップ感は、まったく飽きる隙間を与えてくれなかった。
「絵10点、音楽10点、話2点」の新海誠作品が、「絵10点、音楽10点、話6点」になったという感じ。
美しい絵と音楽をフルに堪能できるのはやはり映画館だと思う。ぜひ錯覚をしに映画館まで足を運んでほしい。
TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ
【評価】★★★★☆
クドカン節が活きる設定!マザファッカー!
【批評】
宮藤官九郎映画には、クドカン脚本で監督は別である作品と、クドカンが監督も脚本も行っている作品があり、それらは別として考えなければいけない。
クドカン脚本で最も有名な映画は『舞妓Haaaan!!!』であるが、あれは脚本のみの参加だ。圧倒的なスピード感と独自の感性で名作となったわけだが、あれは監督の水田伸生によるところが大きい。
というのも、あれだけのとんでもストーリーを見事にまとめた監督の力量は凄い。クドカンの発想のオリジナリティは誰もが認めるところではあるが、それを2時間の映画枠に収め、観客の観れるものにしたのは監督の腕だ。
一方、宮藤官九郎の監督としての能力はこれまではあまり評価できるものではなかった。特に、前作の『中学生円山』では、思いついたギャグを順番に映像化したといった感じで話が進み、収拾がつかないまま、最後には強引にいい話に持って行こうとして大失敗していた。しかもそのギャグも30点ぐらいのギャグで、映画館ではくすくす笑いさえ起こっていなかったのを覚えている。このとき、やっぱり監督がいないと厳しいんだなぁと実感した。
そんな前作があるため、宮藤官九郎監督の今回もあまり期待せずに見に行ったのだが、それがいい意味で裏切られた。
映画館では笑いが起こっていたし、最後まで退屈することなく見ることができた。そう、本作は成功している。
本作成功の理由は、クドカンのギャグが活きる2つの設定にあると思う。
ひとつは、地獄という舞台設定だ。
クドカンのギャグには基本的にフリがない。脈略のない怒涛のギャグは、ときに観客を困惑させることがある。つまり、観客が普段生活している延長にはない単語が突然に投げ付けられるので、意外な展開で笑うというより不条理で笑えなくなることがある。しかし、本作は舞台を地獄とすることで、そもそも観客の普段の生活とは関係のない舞台であるがゆえに、不条理なギャグを見せられても理解できないのが当たり前で、ひとつひとつのワードや演出にむしろ素直に笑えてくる。実際、映画館では何度も笑いが起こっていた。クドカンのギャグは(例えば「団地」のような)既存の現実に入れ込むよりも、今回のように架空の舞台のほうが活きると思われる。
クドカンギャグが活きるもうひとつの設定は、バンド設定だ。
そもそも、クドカン自信がバンドをやっていたこともあり、音楽とサブカルチャーへの知識が深いし、その業界の人間たちとの繋がりも広い。地獄とバンド、サブカルの相性も抜群で、みうらじゅんや片桐仁が自然とフィルムに入ってしまう。地獄のコードHなんて発想も面白すぎる。クドカンならではの単語である。
園子温の『TOKYO TRIBE』がラップミュージカル映画なら、本作は宮藤官九郎のロックミュージカル映画であり、こまめに入る音楽が映画にスピード感を与えており、気付いたら2時間経っていたという印象だった。
また、地獄だけのシーンでひたすら2時間やられると苦しいところもあるが、定期的に現世のシーンが入ることで、息抜きができるし、飽きることもなく見られる。
やや残念だったのは、ロックバトルのルールが意味不明で、ラスト直前はやっぱり収拾がつかなくなっているところだ。しかし、絵に勢いがあるので、あまり細かいことを気にしても仕方がない気がするし、ルールがなくてもごり押しできていると思う。
とにかく、地獄シーンのディテールへのこだわりは凄く、視覚的にも面白いシーンばかりである。
クドカン節に溺れる時間を味わうためにも、ぜひ映画館で見てほしい。
64-ロクヨン-後編
【評価】★☆☆☆☆
ださい映画。
【批評】
酷評するので、本作が好きな人は読まないでください。
さて、本作は終始センスのないシーンばかりでとにかく酷かった。日本映画の駄目なところが詰まっている映画だった。
特に酷かったのは、ラストに犯人を逮捕するシーン。逮捕される父親を見て娘が(わざとらしく)鳴き叫ぶ声が流れながらのスローモーション。
ださい。本当にダサい。そして寒い。
何も考えず「クライマックスはとりあえずスローモーションにしとけばいい」という『踊る大走査線』スタイルを見事に引き継いでいる。
他にもダサいシーンは盛りだくさんである。
白目を向いて意識を失う柄本佑。本格派シリアス映画だと思ってたのに、急にギャグ描写。
誘拐事件解決後、いびきをかいて寝ている柄本佑。そんなアニメみたいな演出あるか。
コスプレメイクでよちよち歩きながら「母さん!」と叫ぶ窪田正孝。相変わらずコスプレを脱せないメイククオリティ。
それを見てさいばしを握りしめる母親。さいばしって!いつの映画だよ!
犯人を追い詰めるシーンでは、犯人は都合よく河原に逃げていく。「今からここでびしょ濡れアクションシーンやるよー」と言わんばかり。ダサい。
今思うと、タイトルシーンの佐藤浩一の顔面アップからしてダサかった。あそこからヤバい感じはしていた。
無論、脚本も甘い。
例えば犯人の娘(妹)は、雨宮宅に進入しているところを佐藤浩一に保護されて事件が展開するのだが、そもそも女の子はどうやって雨宮宅に行ったのか謎。雨宮に誘拐されかけた過去はあるものの、自宅まで連れて行かれたわけじゃないし、なぜ住所を知っていたのか。いや、住所を知ったところで小学生が1人で行けるわけがない。
そもそも、雨宮宅に行った目的は貰ったものを返すためだろうが、だとしたら工場に隠れる意味もなく、堂々と玄関先に置けばいい。意味不明。
つまり、すべては事件を解決に持っていくためのまさに「都合のいい」展開でしかない。
その後の三上の行動もさすがに反則技という感じで凄い後味が悪い。原作も同じなのだろうか。主人公は正義感が取り柄だと思っていたが、とんでもなく汚いやり方でがっかりした。
さらに気になったのは、主人公夫妻の娘失踪問題。これがなんと解決されずに終わるのだ。
もちろん、ラスト近くに、明るい音楽にのせながらの公衆電話からの着信によって、娘の無事を暗示してはいるのだが、さすがにそれは説明がなさすぎる。そこはしっかりと解決させないと、カタルシスなんて生まれるわけがない。前後編にして時間はたっぷりあるのだから回収すべきところはちゃんと回収してほしい。ひどい。
偽装誘拐事件のラスト、お金を燃やすシーンでは、すぐそこに雨宮がいるのに誰も身柄を抑えない。ていうか捜査員は気づいてもいない様子。模倣誘拐の元の事件の被害者がすぐそこにいるのにスルーする警察って、意味不明。どう考えても1番怪しいだろ。ひどい。
とまあ、あげればキリがないのだが、とにかくひどくてダサい映画だった。
気に入らないのは、テレビ局製作なので広告は派手にやっており、さも名作かのように取り上げられているところ。こんな映画にお金を落とす人は気の毒だ。やっぱり前後編商法は駄目だなと実感した。
原作は人気であり、おそらくよくできているのだろうと想像する。
結局、ポルノ映画専門の監督が急に超大作を任されてまったく料理できていないといったところ。
もうポルノ映画に戻っていただきたい。
ヒメアノ〜ル
【評価】★★★☆☆
ひそひそ星
64-ロクヨン-前編
スポットライト 世紀のスクープ
【評価】★★★★☆