ジュラシック・ワールド

【評価】★★★☆☆

迫力満点の映画館向け映画。落ち着いて考えると脚本はひどい。
 
【批評】
何も考えずに楽しめる2時間だった。
 
人類は何故か過去の過ちを学ばない。ジュラシックパークであれだけの大失敗をしたのに、やっぱり恐竜アトラクション施設を作っちゃう。そして案の定、肉食恐竜は逃げ出しちゃう。
いつの時代もよからぬことを企む悪いやつがいる。そしてそういつやつはやっぱり喰われちゃう。
主人公は絶対死なない。子供も絶対死なない。
 
とまあ、定番中の定番を予定通りになぞった結果、大衆受けに成功し、興業収入は歴史的な記録を残そうとしているこの映画。
恐竜の映像は迫力満点で、CGと実写がシームレスに繋がっている。
 
(このあたり、日本の「進撃の巨人」スタッフは見習うべきだ。「進撃の巨人」では、明らかにCGと人間のアクションが別物で、アクションシーンのテンポが悪く、現実感が乏しい。一方で、本作では精巧なグラフィック処理と編集により、臨場感が溢れており、そこに恐竜がいる恐怖感が伝わってくる。
これは予算だけの問題ではない。編集センスの問題だ。)
 
見終わった直後は「楽しい映画だったなぁ」と興奮すること間違いなし。
 
しかし、それが冷めてくると、「あれ?そもそもあそこおかしくね?」という部分が多々出てくる。
 
その最大が作品のテーマ性だ。
 
本作は明らかに「生命の営み」をテーマに掲げている。いや、むしろそのテーマ自体はシリーズを通して一貫されており、「人間が生命を操作することの愚かさ」を訴え続けている。
本作はそこを過去作以上に押し出しているのだが、それがやや強引だと思う。
 
気になったのは2点。
 
1点目は、純粋な生命の営み、つまり「家族愛」に関する描写だ。
 
物語の序盤、男の子が兄に向かって、両親が離婚しそうであることを話しだす。しかしこの話題に至った明確なきっかけがないため、やや唐突感がある。
ハリウッド映画では、「家族の仲がギクシャクしていたのが、困難を乗り越えることによって絆が深まる」というのは定番中の定番だが、なんと本作では、この「両親離婚問題」は回収されない。
最後に「無事で良かった」みたい感じで抱き合ってたが、それじゃあ説明できていない。
これじゃあ両親不仲設定は不要だ。
 
しかも母親のほうを「仕事に集中しているから子供の面倒が見れないダメな親」みたいに描いている一方で、父親に関する批判は一切ない。(あえていうなら、冒頭のブラックジョークが笑えないくらい。)
 
さらに気になるのが、ヒロインのクレアの設定。こちらも仕事バリバリのために未婚で子供がいない。忙しすぎて甥の世話もできないほど、みたいな描きかた。
 
これはもう、監督か脚本は、本能的に女性蔑視の傾向があると思われる。「女性が仕事なんかバリバリやってたら、子供の世話もできないし、下手したら結婚もできんよ」という考えが見えて気持ちが悪い。
 
 
気になった2点目は、新種ハイブリッド恐竜「インドミナスレックス」だ。
人間のエゴによる生命の創成が愚かである象徴として描いたのだろうが、これはさすがにやりすぎ。
頭脳は高いし、ラプトルと会話して命令するし、擬態化するし。
これはもうね、恐竜じゃないよ。こんだけやってしまったら、これはモンスター映画です。
ジュラシックパークシリーズの良さは、あくまでも「現代によみがえった恐竜たち」のはず。それが勝手にモンスターを作っちゃったら、それはもう違う映画でしょ。
 
 
他にも突っ込みどころは多々ある。
そもそもパークの客は、問題発生後どこに集められてたのか。そして、なぜ「インドミナスレックス」はそこに直行しないのか。
子供なのになぜかマッチを持ってる。しかも、川に飛び込んだ後なのに普通に燃える。
ラプトルが人間を助ける、、わけないだろーが。
Tレックスを誘い出すのに、ただの全力疾走で逃げきっちゃう。しかも女性のスピードで。
なぜかTレックスは人間を襲わない。インドミナスレックスを殺したら、(ゴジラが海に帰ったように)颯爽と森に帰っていく。
 
 
とまあ、突っ込みどころは多い。
 
本作は入場ゲートやTシャツなど、第1作「ジュラシックパーク」へのリスペクトに溢れており、ラストシーンは1作目とほぼ同じである。
シリーズの象徴であるTレックスの勝利を描くことで、第1作へのリスペクトと、愚行の繰り返しを表現しているようにも思える。
 
何であれ、迫力満点の映像を楽しむためにも、映画館での鑑賞をおすすめする。
 
 

進撃の巨人

【評価】★★☆☆☆
ハードルを下げに下げて見れば楽しい。

【批評】
実写化なんて不可能だったんだ。
原作の圧倒的な世界観を実写で再現するのは「無理」だったんだと思う。たがらこそ、最初に監督として名が上がっていた中島哲也は途中離脱したのだろう。彼の判断は正解と言わざるを得ない。

本作品最大の勝負所はどう考えたって「巨人」の描写だ。確かに、最初の超大型巨人は気合いの入った映像だった。しかし、そのあとのノーマル巨人が問題だ。意図して人間に近い描写にしたのはわかるが、どう見てもただのおっさん。それも、キモおじさん系AV男優にしかみえないから笑えてくる。また、最初に壁の穴から出てきた先頭のやつなんて、アンガールズ田中にしか見えなくて、「こっちが寄せてどうするんだよw」と突っ込みが止まらない。

脚本の破綻については各レビューで総突っ込みされている通りである。
巨人に気付かれるから「叫ぶくらいなら舌を噛め!」と言われるぐらい静かにしないといけないのに、ペチャクチャとしゃべり出す兵たち。「子供の泣き声がする」とかいう理由で勝手な行動に出て、結果仲間を大量に殺させる女。その女と主人公の明らかな単独行動なのに、それを戒める仲間と喧嘩して勝ったら偉いみたいな謎理論。女をとられたくらいで、我を忘れて叫び出す主人公。(あれだけ静かにしろって言われてて、大量の犠牲も出した後なのにw)
普段いろんな映画にあれだけ文句を言ってる町山智浩が脚本に加わりながらこのザマだと考えると、脚本って難しいんだなぁと再認識した。

俳優陣の演技も作品の質を下げている。
水原希子は黙って立ってたら様にはなるけど、喋ると演技力の無さが浮き彫りになってしまう。超大型巨人の登場で後ずさるシーンでは、ぶりっこのように長い袖を掴んでて、「今ぶりぶりしてる場合じゃねえだろw」と突っ込み。「ノルウェーの森」でのデビューは良かったけど、もうちょっと舞台とかをこなして力を付けた方がいーんじゃないかな。

石原さとみも納得がいかない。あの世界でのあの地位にしては顔が綺麗すぎる。汚れを知らない顔でしょ、あれは。あと、そもそも滑舌が悪いせいで、石原さとみが偉そうに喋っててもしまらないんだよね。「失恋ショコラティエ」のときみたいな可愛いお姉さん役がはまってるんじゃないかな。

エンディング曲はコメントなし。


さて、ここまでおおいに批判してきたけど、以上を踏まえたうえでハードルを下げて見に行けば十分楽しめるはず。
舞台を日本に変えた、みたいな原作改編は成功だと思うし、今実写化するなら、それしかないと思う。
他にない世界観。グロシーンはPG12ギリギリを攻めてる。動く巨人は一見の価値あり。
今の日本の映画界を考えれば、今回の出来が確かに最高だとも思う。

ただ、後編を見たいかと言われたら、話題を変えるだろうよ。

海街diary

【評価】★★★☆☆

現実の風景や人間を現実よりも一段と美しく映す天才。これはもうヒーリング映画。

 

【紹介】

「誰も知らない」「そして父になる」の是枝裕和監督の最新作。原作はマンガ大賞2013受賞。

 

【批評】

とにかく絵が綺麗。

 

鎌倉の海、町並みは勿論のこと、すずが二人のりの自転車で桜並木のトンネルを抜けるシーンは実写であることを疑うほど美しい。これもまあ是枝監督の力であり、「そして父になる」のラストシーンを連想した人も多いはず。

2時間たっぷり、ストーリーにこれといった起伏なしの映画なのに、最後まで飽きずに見られるのは絵の美しさによるところが大きいと思う。

 

そして出て来る人物の心も、これがまた美しい。登場人物全員性格がいい。腹違いの妹との突然の共同生活がここまで無難に進むとは思えないけど、みんないい人だから大きな問題なく生活していく。すずもあまりに性格がよく、「幸ねえのこと、三人で一緒に考えたい」なんてこと言う中学生いない、いるはずがない。(無論、いい子を演じているのはそうだが、ここは本音だと信じている。)

このあたり、当然、ファンタジーであることを意識して監督は作られているのだと思う。今回は徹底して「美しい映画」を撮りたかったのだろう。

 

そしてこの映画は、泣ける。ラストシーン手前の、幸とすずが丘の上で叫ぶシーンはもちろんのこと、佳乃が幸に仕事で出会う「死」について質問するシーンなど、随所に泣けるシーンがちりばめられている。それも”さらー”と粘度の低い涙が流れる感じで、泣いているこっちの心が浄化される感覚になれる。

 

総評して、これはもうある意味「ヒーリング映画」だと思う。美しい景色と美しい人間ドラマを見せることで、観客の心を癒して浄化する効果があるのではないか。

 

ただし、ストーリーはどうなんだろう?という感じ。親との確執であったり、不倫問題であったり、テーマ自体はこれまでに使い古された内容ばかり。「ありきたりの問題に対して、可愛い女の子と地域の人たちが苦労する」という、なんだか、朝のNHK連続テレビ小説を2時間見せられているようでした。

 

それでも、最後まで飽きることなく見れるのは、この映画がヒーリング効果抜群だから。最近心が疲れているあなたにおすすめの映画です。

 

名探偵コナン 業火の向日葵

【評価】★★★★☆
シリーズの中でもプロットが良い。定番と新鮮さのバランスが絶妙。

【紹介】
お馴染みの名探偵コナン映画第19作。鈴木治郎吉は世界に7枚存在するといわれるゴッホのひまわりを集めた展覧会「日本に憧れた向日葵展」を開催することに。しかし、そのうち一枚を日本に輸送する際に、ひまわりを怪盗キッドに奪われてしまい、、、。

【批評】
ゴッホのひまわりに着目してコナン映画を作る、という発想がすでに勝っている。

そもそもひまわりはミステリーとして面白い。全7作あるという事実。2作目のひまわりは芦屋で焼失したという歴史。そして5作目に残る贋作疑惑。さらにその5作目が日本にあるということ。
これらの事実だけでも興味深いが、そこに、「2作目が実は残存していた」というところから始まる物語は、コナンでなくとも絵画ミステリーとして成立しそうだ。

そこに、コナンの要素が効果的入ることで、観客を飽きさせない仕組みになっている。つまり、コナンvs怪盗キッドの構図だ。

ちなみにこの映画にトリックはない。犯人を追いつめるロジックもほぼない。いわゆる謎解き要素は「なんでキッドがこんなことをするのか?」に絞られる。
怪盗キッドは訳あって宝石以外は盗まない主義であり、また、人を傷つけるようなことは絶対にしない、という前提を知っていないと厳しいかもしれないが、劇中で一応ちょっとだけ、説明されるので問題ない。

また、コナン映画定番のアクションシーンは、なかなか頑張っていたと思う。激しく入れ替わるカメラワーク(視点)と、実写ではありえない効果を使って、実写以上の躍動感が表現されていた。ラストの脱出シーンは、もはや何が起きているのかよくわからなかったが、まぁそれも良しとしよう。


さて、一方で真犯人の動機の酷さに批判があるようだが、それは確かにそうかもしれない。動機の理不尽さとしては、コナン映画史最悪の呼び声高い「天国へのカウントダウン」を凌ぐかもしれない。
でも、個人的には「プロのプライドとして贋作が許せない」ってのはありなんだよな。芸術に関わる人は、一般人とはどこか違う価値観があって良いと思う。ただ、それは良いので、じゃあなんであなたは贋作だと判断したのか、その説明が無さすぎる。プロならプロとして、贋作を疑わない理由を教えてほしかった。そこがちゃんと語られていれば、一気に重厚感あるフィナーレになったんじゃないかな。その点は少し残念だ。

もう1点、残念なところをあげると、それは灰原哀だ。
劇中で「見つめているだけじゃ駄目だ」とアドバイスされ、心動かされているにも関わらず、最後の最後までやっぱり見てめているだけで、終わってしまっている。ラストシーンで、「湖の下にコナンがいるかも」ってときに助けて欲しかったなぁ。それでこそ、「見つめているだけ」から「行動した」ことになるんじゃないか。

そうは言っても、映画として面白いことは間違いない。コナンファンは当然のこと、そうでない人にもおすすめしたい。

なお、ゲスト声優が犯人役をやってしまってオチがバレバレ問題は、もはや治らないので、私は気にしないことにしている。

ソロモンの偽証 後篇・裁判

【評価】★★☆☆☆
前篇で盛り上げた期待を超えられない。

【紹介】
宮部みゆき原作の同名小説を「八日目の蝉」の成島出が映画化した、2部作の後篇。
中学校で起きた一人の生徒の転落死の真相を明らかにするため、生徒たちはついに学校内裁判を始める。そこで明らかになる真実とは。

【批評】(ネタバレあり)
前篇ラストの予告編で期待しすぎちゃったのかなぁという感じ。

事件の真相はさほど意外なものではないし、裁判開始前に9割方ネタばらしされてしまう。観客としては、その9割のネタばらしを10割にしてもらうために、続きを見るわけだから、裁判前半の外野の証言にはまるで興味が沸かない。実際、裁判で証言されることは、そのほとんどが裁判シーン以前に明らかにされていたことで、観客にとっては繰り返しの説明であり、とても退屈。むしろ、それを聴いてがやがや言ってる傍聴人を見ていて寒くなってしまう。

唯一、三宅樹理の証言だけ我々の予想を裏切るわけだが、残念なことに彼女の証言を受けてその後の展開が変化するわけでもなく、まるで効果がない。一瞬法廷内はがやがやするが、次のシーンではもはやみんなその証言を忘れている。そしてなんと、最後まで彼女の証言はフィードバックされない。つまり、彼女は自分の証言について責任を負うことはない。
三宅樹理はこの映画のキーパーソンである(ともすれば神原くん以上に)だけに、もっと丁寧に救ってあげて欲しかった。


映画では、この事件の最大の原因について、詳細には、というかまったく語られていない。つまり、「柏木くんがなぜこの世界に絶望したのか」について説明がない。「偽善者だらけだ」からなのか何なのか、柏木くんの心理についてなにも語られていない。よって観客は柏木くんの自殺の動機を知ることはできない。その結果、もはや観客の目には柏木くんは「ただの中二病をこじらせただけの子供」にしか見えない。

そうなると、この映画自体が(我々観客を含めて)柏木くんの身勝手さに振り回されたものであり、なんとも後味が悪い。

そしてこのことは映画の主軸をブレブレにしてしまっている。

主人公の藤野涼子が学校内裁判を始めたきっかけは、柏木くんに「偽善者」と呼ばれたことによる罪の意識からだ。しかし、観客にとっては柏木くんはただの中二病なわけだから、藤野涼子が罪の意識を感じること自体に共感できない。

神原くんが学校内裁判をけしかけたのだって、柏木くん自殺の要因となりながらも裁きを受けないことへの罪の意識なんだけど、そのシーンを見る限り神原くんは悪くないと思われるので、やっぱり共感できない。

メイン人物に共感できないのだから、ラストの感動シーンもいまいちのれない。はたまた、藤野涼子の「あなただけが悪いんじゃない。私も悪いのよ」論は学級会のようにさえ見えてしまった。

2時間で終わる映画なら許せるが、3600円払ってこれでは後味が悪い。もっと描くべきことはあったのではないだろうか。

TOKYO TRIBE

【評価】★★★☆☆
園子温が思い付いたことを順番に映像化した作品。

【紹介】
架空の街「Tokyo」を舞台とする若者たちの抗争を描いた漫画「TOKYO TRIBE 2」を、全編ラップミュージカルで映画化。監督は「冷たい熱帯魚」「ヒミズ」の園子温

【批評】
評価は分かれるだろうなぁ、この映画。

基本的なスタンスは、園子温前作の「地獄でなぜ悪い」と変わらず、園子温が思い付いた面白そうなことを順番にやっていったら2時間経ちましたーという感じの映画。

脚本やら演出やらにたいした意味はないし、本当に監督の思い付きで話がすすんでいく感じ。
「いや、演出のひとつひとつに深い意味が」とか「ここは園子温ならではの表現で」とか言いたい人は言ってたらいーけど、耳を傾ける気がしない。

ただまぁこの映画を作れるのは園子温以外他なく、それを評価すると言えばできる。
特に、見る前から誰もが身構える問題のラップは大きな違和感もなく、挑戦は成功といえよう。
(この辺り、私はラップに詳しくないので容認できるのかもしれない。)

でも、さすがにストーリーはつまらなすぎるんじゃなかろうか。

最大の問題は、抗争のきっかけは「あいつのほうがちんこがでかいから」という部分の説明シーン。
これ松本人志の映画でもいえるんだけど、映画で滑ることを前提にそれを見越して自分でつっこんじゃうってめちゃめちゃ格好悪いと思う。「こんな下らない理由だったんですよー」というのは分かったから、せめて突っ込む権利ぐらいはくれよと。銭湯のシーンを描いてだらだらと表現することじゃないだろと。

それもこれも、話が全部園子温の思い付きだからなんだよね。いろんな登場人物を出して風呂敷広げるだけ広げて、最終的にぐっちゃぐちゃにして、放置すると。

彼にとって映画は「面白いことをする場」であって「何かを表現する場」ではなくなっちゃったのかなあ。次回作はトリンドル玲奈で「リアル鬼ごっこ」とか言ってるし。
園子温の商業化をひしひしと感じる、寂しさ込み上げる映画だった。

でもまぁ見てる間は面白いから、それはそれでいい。

ソロモンの偽証 前篇・事件

【評価】★★★★☆
後篇が見たくなることは間違いない。

【紹介】
宮部みゆき原作の大作ミステリーを「八日目の蟬」の成島出が映画化。中学校で起きた一人の生徒の転落死。警察が自殺を断定するなか、殺人を告発する手紙が届く。そこから始まる疑惑の連鎖。そしてついに、大人たちを信用できなくなった生徒たちは学校内裁判を立ち上げる。

【批評】
前篇だけではなんとも評価し難いが、とにかく後篇を早く見たくなるという面白さはある。

映画冒頭から中盤にかけては本格的なミステリーという感じで、とても面白い。舞台が1990年ということもあり、全体的に薄暗い演出にしているのだが、それがいい味を出していて、この物語全体に拡がる不穏な空気を見事に描いている。

特に、前篇のメインとも言える三宅家は意図的に一段と薄暗く描写されており、ホラーテイスト交えた雰囲気がラストに観客を引き込むことは間違いない。その中でも三宅樹理を演じる石井杏奈の演技が際立って良く、怒りと動揺のあまり心が狂っていく様は素晴らしくも恐怖を感じた。

演技という点では、担任教師役の黒木華も光っていた。純粋な教師ながらも、どことなく黒い部分を持っているのだ。「私は嘘なんてついていません」と言って泣きながらも、「やっぱり嘘ついてるんじゃないか」と観客は疑ってしまう、絶妙の演技だと思う。
さらに、柏木くんの亡霊に苦しめられていく様子も味わい深い。

主人公の藤野涼子(演者同名)もまた、安定した好演であることは誰もが認めるところであろう。

そうして、登場人物の誰もが怪しく見えていき、観客は物語に引き込まれてしまう。

ただし、この小説を映画化するには最大の関門がある。それは、学校内裁判に話を移行させることだ。

主人公の涼子が学校内裁判を企画して進めていこうとする過程は、あまりにも非現実的だし、それを良しとする大人たちもどうかしてるのは明らかなわけで、ここはどうしても観客は「そんなあほな」という感想を抱かずにはいられない。
そこを役者たちの演技や、監督の演出でやや強引に軌道に乗せた結果、ギリギリ元の重苦しさを残したまま、後篇に繋ぐことに成功している。

ただ、ガリ勉キャラの井上君はさすがに今更そのキャラクターは冷めるのでやめてほしい。
あと、市川実和子のキャラもやり過ぎじゃあなかろうか。
このあたり、監督が敢えてコメディ色に仕上げた意図はよくわからない。

ともあれ、後篇が待ちきれない。